作家、演出家、前川知大の鈍ら(ナマクラ)な日々。時々切れ味の良い日も。かなり不定期更新。
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[小説] 「散歩する侵略者」 メディアファクトリーより発売中 [連載] ■週刊モーニング(不定期連載) 「リヴィングストン」 漫画:片岡人生 原作:前川知大
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前川知大          (まえかわともひろ)

  • Author:前川知大          (まえかわともひろ)
  • 海の生き物とキノコと豆、乾物が好きです。F1と料理が好きです。UMAや地獄の関係者も好きです。漬物だけは勘弁してください。
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2009.07.25 Sat
報告。
ここに戻ってまいりました。
せめて月イチは書いていたのに、
気付いたら前の記事が二月という、という、いったいどうなってんだ。
ここ数ヶ月の記憶が曖昧です。
適当に庭に蒔いた野菜やハーブが狂ったように繁殖してるところを見ると、
随分時間が経ったに違いない。

公演が続きましたが、ご来場のお客さま、ありがとうございました。
関係者の皆様、お疲れさまでした。

「奇ッ怪~小泉八雲から聞いた話~」世田谷パブリックシアター主催。7月@シアタートラム
kikkai
怖オモロ芝居。八雲原作をリスペクトしつつ、イキウメのエキスをかなり注入。


「関数ドミノ」イキウメ。5月@赤坂レッドシアター
domino
被害妄想のある意味幸福な産物。


「相思双愛」バンダラコンチャ。5月@紀伊国屋ホール他
sousi
重松清さんの小説を舞台化。ニコイチ演劇という実験的な試み。


そしてまだまだ続きます。
「狭き門より入れ」8月@パルコ劇場
semakimon
ただいま鋭意稽古中。世界の終わりはコンビニで。



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2007.11.17 Sat
写真
星や宝石、目、スター(人)、経歴、懐かしい思い出、
などを輝くものの例として。
光る、となると輝くよりはやや即物的な感じがする。

ただ今公演中のチーム申「抜け穴の会議室」のパンフには、
出演の仲村トオルさん、佐々木蔵之介さんと私との飲み屋鼎談が載っているのだが、
そのスリーショットの私の頭部が、やけに光っている。
パンフを手にした友人は「なんか、輝いているよね・・・」と、
私の仕事を褒めるような発言をしたが、本意は別にある。
開いたパンフにある写真の中で、輝いてるのはスターのお二人で、
私はというと、単に光っているだけである。
即物的に頭部を発光させているだけである。
うーん。
「光っていると言ってくれ」。つぎはこのタイトルでいこう。

自分写真でもう一つ。
月刊シアターガイドの「Books」のコーナーにて、
隔月連載で新書を紹介している。
その写真についてだ。
Booksコーナーは漫画と新書を交互に紹介する。
漫画を紹介するのは俳優・舞踏家の麿赤児さんである。

連載を始めるにあたり写真はどうしますか、と編集者とお話ししている際、
「じゃあ麿さんと同じポーズの写真にしましょうか、同じスキンヘッドだし」
と冗談で言ったらそれが採用されてしまった。
怒られやしないか心配だったが、
そんなことで怒るような人ではないという編集者の弁にほっとする。

かくして私は、こめかみに手をあて、思慮深そうにうつむいたポーズの写真が
紙面の片隅に載ることになったわけだが、
これがまた友人から微妙な評価をいただいてしまう。
まず上記のような経緯を説明しないと、コンセプトが不明らしい。
「あの写真、どうしたの?大丈夫?」
と、一方的に私がハズしたような空気にされてしまうのだ。
うーん。麿さんと同じポーズをするには年輪と威厳が足りなすぎた。
が今さら変えるのは余計格好悪いのであのままいくことにした。ふん。



チーム申「抜け穴の会議室」は
赤坂レッドシアターで今月24日まで公演中です。

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2007.02.03 Sat
たまには劇団のことなど
union_flyer.jpg
昨日はイキウメ次回公演の顔合わせであった。役者スタッフ関係者が集まり、頑張りましょうという避けては通れない儀式だ。(避ける必要もないのだが)
儀式は当然形骸化しており、あっという間に終わり居酒屋に席を移すのだが、儀式は儀式として存在価値がある。これだけの人数が関わるのだ、ふんどしを締めてかからねばならない。

タイトルは「狂想のユニオン」。
「狂」という字が入ると客が一割減るなんて話を聞いた。
その一割は一体どんな人たちなんだろうと興味は尽きないが、なんとなく分かる話でもある。
その前に「イキウメ」という名前でも一割損してないか、っていう話もある。
てことは常に動員数に1.25をかけたものがホントの動員数なわけだ。
うーん、全くどうでもいいことに計算機を出して計算してしまった。

今、TOKYO FMで3月公演のスポットCMが流れている。
「狂」の字にイキウメでなんとも申し訳ないが、ありがたいことである。

劇団名を決める時、頭に「劇団」を付けるかと議論になり、
なんとなくダサいからやめよう、ということでただの「イキウメ」になった。
かといって「ユニット」です、というのも恥ずかしいので、聞かれると結局劇団ですと言うことになる。今となってはどうでもいいことだが、小劇場界の人間は、演劇をやってるくせに演劇が恥ずかしいと思っている人が少なからず存在する。当時(といっても4年前だが)、私もそういった気分はあって、「劇団」とか言ってるとモテないんだろうなぁと思っていた。「劇団」を取ったところでモテないことは変わらないので、結局たいした違いはなかったのだ。

ラジオから聞こえる「イキウメ」はインパクトがある。
「生き埋め」と変換されてしまうからだ。眉をひそめる人もいるだろう。
願わくは「イキウメ=劇団」というイメージが流通することだが、先の遠い話である。
「生き埋め」の呪縛から解き放たれる日は来るのか。
「生きたまま彼岸を垣間見るように、非日常へシフトする物語」というコンセプトから出てきている名前なので、結局「生き埋め」からは逃れられないのだろう。
何度か「粋梅」と読んでくれた人もいて、なるほどと思ったが、コンセプトが謎である。
難しいものだ。

顔合わせ後の酒席では久々に飲み過ぎ、また余計なことを喋ってしまったなぁと後悔しながら始発の総武線に乗った。中野から新宿まで行って改札を出ようとするとバーが閉じた。150円の切符を買ったのは覚えている。160円だったかなと精算機に切符を入れると400いくらの追加料金で驚いた。西船橋まで来ていた。熟睡していたのだろう。自分には珍しいことだったので笑ってしまった。酒には気をつけようと思う。




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2006.11.30 Thu
ナイスとドラクエ
DQ1.gif

先日、我が劇団の森下氏が出演している東京ナイス「9日目にはもう飽きている」の、ポストパフォーマンストークに参加した。
終演後のトークは2月の演出家コンクールと10月のハイバイに続き今年三回目。
初日に観劇し、自分の読解力の乏しさと作品の難解さにうろたえた。
資料として脚本をいただき早々に自宅へ敗走する。

作演出の岡田氏は、自分の作品は退屈だと言っていたが、根底にある問題意識に共通点があったため興味深く観れた。ただそれを語る言語が当然だが自分とは違うのでいささか当惑してしまった。
自宅にて脚本を読む。沢山の発見があった。
物語は、日常的な風景という体裁をとっているが、その下には意外な構造が隠されていた。
膨大な設定とサブテキストに支えられた退屈さ、は、思いつきで書かれた「あるある」系の共感しか呼ばない小劇場でよくある退屈な日常芝居とは大きく違う豊穣さを持っている。
暗示的なシーンに散りばめられた抽象的な言葉たちは、観客個人の経験に基づき還元される。
ただ岡田氏が「同時代の人には共通言語と思っていたものが必ずしもそうではなかった」と言うように、一般性は低く、エンターテイメントとしては成立しにくい作風であるのは否めない。

トークの最後でドラクエ?の話になったのだが、中途半端になったのでここでまとめる。余計なお世話かと思うが。
劇中でドラクエ?をプレイしながら主人公は言う。
「寂しくなったり、不安になったりする?」
ドラクエは?以降パーティになるのでたった一人で荒野に投げ出されるのはこの?だけ。
「この一人ってところがキモだ。」と岡田氏。
竜王(ラスボス)から世界を救うため頑張ってるのに、宿屋や武器屋はしっかり金を取るし、住人は何かと交換条件を出し勇者に非協力的、と劇中の勇者はぼやく。
確かにそうだ。ドラクエ?の世界の住人は竜王にさほど困る様子も無く平凡に生活している。それは世界を変えることができないという諦念だろうか。打倒竜王に燃えているのは勇者だけで、カニ歩きしながらふと我に返ると、自分はドン・キホーテじゃあるまいかと思う。
ドラクエは神話でよくあるイニシエーション(通過儀礼)の物語だ。
血縁の正統性を持つ主人公が王(父)の指示通り竜王を倒し、社会的承認を得る。そして姫を妻にとる。この構造の中では、竜王を倒すことは勇者の個人的な問題に過ぎないのかもしれない。
勝手に世界を背負って孤独になる思春期特有のあの気分だ。

ドラクエ?の面白いところは、レベルの上がり方と物語の進み方が実年齢に近いところだ。
竜王を倒しえる力を持つのはレベル19~21。二十歳前後で大人になれよってことか。
囚われのローラ姫を助け出す力を持つのはレベル15前後。この頃には童貞を捨てろということか。しかしこの手の物語の多くがボスを倒して姫を救うのに対し、ドラクエ?は姫の救出とボス打倒は別イベントとなっている。実際ローラ姫を救出しなくても物語を終わらせることができる。思春期の大問題である「モテ」という要素を括弧に入れたのは堀井雄二(シナリオ)の優しさか、それともリアリズムか。
いつ竜王を倒してゲームを終わらせるかは自由だが、レベルは30までしか上がらず、それ以降はいくら雑魚を虐殺しても成長はしない。モラトリアムは30までということである。
まぁ僕らにとって問題なのは、竜王がどこにいるのか分からず、ローラ姫という幻想に踊らされているこの日常ってことだ。



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